ときには美しい文章が読みたい。

気持ちがささくれだってしまう日に夫は音楽を聴くようですが、私は本を読みます。

 

静かで強い文体にただ癒やされたくてたびたび読むのが『羊と鋼の森』。文章だけじゃなくストーリーもすごく好きですが。前に母から借りて、とても好きになって自分でも買った、という本です

調律師を目指す青年のお話。

調律師という自分の道を歩んでいく中で出会うふたごのピアニストや、主人公の心の内、調律師としての歩みが描かれている、というようなお話です。

 

読んでいると、目の前に深い森ときれいなピアノの音が広がるように感じて、言葉って凄いなーと思うんです。音楽とかアロマみたいな感じ。

 

この本で、登場人物が詩人の原民喜の言葉を引くシーンがあるんですが、

「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少し甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」

そんな調律を目指す、という文脈で引かれた言葉なんですけど、本を開くたびに絶対ここには目を通してしまう、というページです。

 

今、私のやっている仕事は、自分で記事を書くライターの仕事と、WEB記事の編集。

つまり、ひたすら文章を使って何をするか、みたいな仕事ではあるのですが、WEBって気にすべきところが多岐にわたるので、ただただ文章に向き合う、ということは意外と少ないです。

 

少ないのですが、でもやっぱり、よく磨かれ整理された文章には機能美みたいなものを感じますし、「雰囲気はあるけどその実何も伝えていない」みたいな文章は、やっぱりもやっとしてて美しくはない。…とか、触れていると思うことは色々あります

 

私の扱う記事は、性質的に情緒や文章じたいの美しさに重きを置くような仕事でもないんですけどね。

それでも日本語を使う仕事なので、引用した言葉を見ると、いつも心が落ち着くというか雑念が消える。

ああ、いい文章に出会いたいし自分も書きたいな、と、なんか初心に帰らせてくれます。

 

 という、今日は好きなものの話でした。

気づけば日常的に編集の仕事に関わりはじめてから1年経つのですが、スキル的なとこでは、足りないなー足りないなー足りない分せめて誠実にやろ、みたいな感じで流れで1年過ぎてしまったw

それでも好きなものに関われていることは幸せなことだな、と思います。