正論こそ言葉を選ぶべきだし!

同業で仲良しの友人は、物腰やわらかな明るい人。

会って仲良くなるずっと前からSNSではつながっていて、横浜に来てすぐの頃にランチでも行きませんか?ってことになり、そこからリアルでのおつきあいになりました。

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会う前に興味を持っていたことがあって、それは彼女、SNSから本音が見えづらいこと。

弱音や愚痴みたいなことをほぼ言わず、マイナスなことは出さず。

マイナスなことがないわけない、というのは同業であれば分かるので「逆に気になる」と思っていたところでした。そこはかとない「公式感」とでもいうんでしょうか。

 

SNSはモノにもよりますが、本音が好きな人も多いと思うので、そういう人にとってはちょっと物足りないかも。この人の実像は?と思ってしまうかもですが。

でも私は、そのたたずまいに、表現が難しいですが「絶対燃やさない傷つけない隙つくらない」みたいな意志を感じて、なんとなく面白そうな人だな、と思っていました。

 

そして実際に距離が縮まっても、そのまま。

リアルで愚痴るときは大体笑いに持ってってくれますし、不用意にクライアントへの愚痴や文句を不特定多数の前でこぼすことはないし、意見するときは直接言うし、その安定感にほっとする。

ちゃんと毒を持っているのに、自分でとどめる姿が人間らしくて好きだなと。

 

毒舌って若い子であればそれも味ですが、大人になっての毒舌や嫌味って芸が無いというか、かっこよくないなと思います。

本人は言って解決、リセット!と思ってても、言われた方はずっと覚えてますし、SNSなんかでの発言は近しい人が見てる可能性も少なくない。もう何年も前にディスられたことなんかも、された方は覚えてますよね。

言葉の強さ、影響、残るものであること。どれだけ視点が鋭く正論であったとしても、正論こそ言葉を選ぶべきだ、と思います。

 

まぁ生きてるといろいろありますわーー(^^;)

色んなボールを投げられる人の方がかっこいいな。

毎日の中で思ったことでした。