清少納言は「冬はつとめて」っていいますが、冬は好きなのに冬の朝は何もやる気が起こらないのが私の若いころでした。
冬も朝も好きなのに、冬の朝になるとすべてがむなしくなるというか侘しく感じるというか、「どうせ100年後にはすべてなくなるのになんで私は生きてるのか」「全部無駄」的な気分になって布団から動けない、みたいな。
謎ですよねー
でも「冬の朝のむなしさ」はあるあるなのかもしれません。
冬の長いドイツで結婚した友人は、すべて無気力になる冬、と言っていました。
年齢とともにうまく自分をだます方法を覚え、あったかいスープやココアやチョコレートを朝の楽しみにして会社に行っていたことを思い出します。一時期はサンマルクのチョコクロにハマって毎朝通ったこともありました(…ということを、サンマルクの前通って思い出した)
今はそのときのむなしさを感じることはありません。
なぜかっていうと、やはり子供の存在が大きいのかなと思います。
冬の朝、ふとんから飛び出ている子供を自分のふとんに入れてあっためる瞬間とか、寝てるだけでほかほかの子たちで暖を取る瞬間とか。
娘とコーンスープ分け合ってあたたまる時間とか。
子育てにおいて至福の瞬間です。
まあまだ秋、なのかな。今は。
今日の朝は寒かったので、「むすこたんぽ」で暖を取り、考えた冬の朝のことでした。