こどもの吃音の通級教室、9月からも変わらず通っています。
夏休み中、ちょっと気になることがあったんです。
学童期に入ってからの吃音は「基本的に直らない」っていうのが定説。
だから、「そのままの話し方でもいいんだよ」「自分らしくしゃべるのが大事」という心の持ち方を学ぶ…、というのも、通級教室のひとつの目的。
家でも折に触れて、そんな風に話していました。
でも夏休みのあるとき、子供が言っていたんです。なにかテレビで「願い事」がかなう、という番組があったとき。
「願い事かなうなら、つっかえずにお友達と話せるようになりたいなぁ、
あっ、いまのままでもいいって、分かってるんだけどね!」と。
それを聞いてなんか考えてしまって…。
ぽろっともらしたその言葉は、我が子の自然な思いなんだろうなって。
吃音の受容において、そのままを受け入れる、っていうのは必要なものなんだろうけど、自然に願うことまで止めてしまうのは何か違うのかな、受け入れることが「正しい」って無理に思うのは違うんじゃないかな、みたいなところなんですが。
(なんかうまく伝えづらいですが)
教室後の面談で先生に、どう思います??って意見を伺ってみると、先生、ふむふむ、と聞いてこんな風に言ってくれました。
「いまのあなたはそう思うんだね、
そっか、ふーん」
くらいで流しちゃうのもひとつかもしれませんね。
と。
吃音を受け入れるにはいろんなプロセスがあるし、その段階では子供自身も考え方がいろいろ変わっていくのだそうで。
「このままでいい」って言われることが負担になる時期もあれば、助けになる時期もあるし、「自然な自分のままでいい」って自然に思えることもあれば「どうしても直したい」って思うこともあるので、どこかで「その考え方がいい」って正解・間違いにするのじゃなくて、ただ子供が「今思うこと」を受け入れるといいかも、っていうことでした。
ふーん、くらいの受け止めだと、どう変わってもいいやすいかなと思います、と先生。
なるほど・・・。
そんな風に言われてみれば、そもそも、「思うこと」に肯定も否定も必要じゃないのかもね・・・。ついつい、「いいと思う」「それでいいんだよ」とか、言ってしまいがちですけど。何かの肯定って、別の何かを否定することにも時には、なる。そんなものかなぁと思います。
先日、インスタで石田ゆり子が「思ったこと記録のはずなのになぜかそれが善悪で語られてしまう怖さ」を書かれてたんですが、
それはSNSの話だけど、「思っていることを正誤をつけること」に対して異をとなえることについては、せやな、ゆり子。。。って思わずうなずいたのでした。
とくに私は肯定、否定、わりとしっかり伝えてしまいがちかもしれない。。黒でも白でもグレーでもなく、何の色もつけない受け取り方でいいんじゃないか、なんて思った日の話でした。