本音と建前の素敵な関係、とは。

私は、わりとうっかり本音を言っちゃいがちな性質でして(というか顔に出る)、すごく若い頃はたくさんの人を不快にさせたと思います。そして、そこそこ若い頃はそれじゃいけないと思って建前を使うことを覚えました

建前っていうとあまり好きじゃない方もいるかもですが、私は建前も社交辞令もそんなに嫌悪感はなく、ほどほどであれば時に人を救う、と思うほうです。

 

で、アラフォーとなった今ですが、本音は昔よりまろやかに伝えられるようになったと思います。本音と建前の使い分けはいまだ、まあまあ間違えますがw

そしてもうひとつ増えた(?)のが、建前に本音を合わせにいくということ。

それが本音ではなく建前であっても、子供に言えないような本音なら、もういっそ誰にも知られず建前で押し通した方がいい。

誰も幸せにしない本音なら、自分だけ知ってたら十分。

そんな考え方をすることが増えてきました。

10年前くらいだと夫とか、ほんとに仲のいい友人とか、どこかで多少出てしまっていた気がするので、「いろいろあるよねー」で自分だけで呑みこんで建前方向に気持ちを持って行けるようになったのはほんと最近のことだなと思います。

 

そしてどうでもいい話ですが、そんな風に建前に本音を合わせにいこう、というとき、10年前くらいの大河ドラマのあるシーンを思い出します。

大殿様が亡くなって、残された人々が「真偽のほどがわからない遺言を真実として扱う」というシーンがあるんですが、そこで大奥様みたいな登場人物が

「わらわはこの言葉を真(まこと)といたす」と言うのですが、そのシーンを思い出すんです。

「わらわはこの建前を真といたす」

「わらわはこの建前を真といたすのだ…!」とか思いながら微妙なモヤモヤを強制的に処理してますww

ほんとどうでもいい話ですね。

というか、こんなの書いてる時点でまだ修行が足りないですねw

 

はい、そんなわけでいろいろあるんです最近。でもわらわはこの建前を真といたすのですww今日も、がんばろう。