自立の方法ってひとつではないんじゃないか。

ままぁ~、おなかすいておなかすいて、おなかとせなかがくっついちゃうよ〜(>人<;)

って泣いてる4歳児のおなかがまんまるでポンポンなの、可愛くて仕方ないな・・・!

↑むすこ正月太り。笑

 

横浜に戻ってきたのは日曜の夜なのに、もうびっくりするくらい日常です。いそがしいそがし。でも今日から給食開始でほっとひといき、です^^

 

っと、タイトルの件ですが、私を悩ませるのが「子供の自立心」。

自立っていうと考えるの早すぎなんですがメンタル的なところの話で、娘はとかく人に依存しがちな性格でして、いいとこもいっぱいですが自立心はほぼない。

そりゃ、人に合わせられるっていうのは長所だけども。

でも、人に判断をゆだねてばかりってどうかと思うし、依存心が強いのって、長い目で見て生きづらいと思うよ…って思ってたんですけど、ふとしたときに(なんだっけな、ネットで見かけた)ひとつの考えに出会ったんです。

 

いわく、 

「自立とは、依存先の分散である」

 

なーーるほどーーーーー!!

と、私は思ったんですが。

複数の依存先を持って、倒れにくくすること。

 

果たして「自立」と合致するのかはちょっと不明ですが…「立」?

生き方としてひとつではあるなと。分散するうちの柱のひとつが自分であればいいわけだし…。

ひとつの人間関係、ひとつの世界、ひとつの失敗に心をとらわれすぎてしまう娘にとって、これは大事な視点かなと思いました。「人の目を気にするな」「自分で決めなさい」「強くなれ」どの言葉も娘の性格上、響くとはとても思えなくてどうしたもんかと思っていたんですけど、いろんな視点から考えてみるの、大事ですよね。

なるべく自分で立つ、でも、依存するなら複数の場所に。

これなら「できそう」って思うんじゃないかな。

 

それから自分も。

私はとかく自由と身軽さを愛するがゆえに自立を目指しがちですが、依存先の分散も長い人生のマネジメントでは大事な視点かなぁと思う30代後半の冬。

ネットの拾い言葉ですけど、心に残ったので書き留めておきました。