仕事選択のはなし~それでも求人広告にたずさわる理由は。

11月から新しい仕事が始まったのですが、その関係で9月末〜10月あたりは身辺整理的な期間でした。  

 

この期間にどこで働くか、仕事どうするか、っていうことを、とっても考えました。

結果、レギュラーのお仕事は旅行メディアの仕事と、求人関係の仕事の中からひとつの媒体、その2つだけになりました。繁忙期に何かスポットで受けることはあるかもですけど…。

 

この求人媒体で私は主婦向けの案件を担当していて、主婦の雇用をつくるのがミッション。ブランクがある、こどもの予定がある、そんな特有の事情も考慮して条件調整し、応募が集まるような求人に整えるっていうのが仕事です。

求人広告の分野で長く関わってきたのは新卒採用の領域だったんですが、そことは違って、今の自分に即したやりがいを感じて始めた仕事でした。

 

実はあんまり報酬がよくはないんですけどww稼働時間が大幅に減る中で細々とでも続けようと思ったのがこの仕事だったんです。

なぜか。

続けられるかどうかっていう条件面はもちろんあったのですが、結局はそれ以上に、意義みたいなものを感じられるから…に尽きる。

これが、振り返ってみると自分でも驚きでした。

 

これまでに仕事を選択する場面って無数にありましたが、家族と過ごす時間が確保できるか、育児しながらでもできる仕事なのか、消耗するほど悪条件じゃないか、地方に引っ越しても続けられるか、ずっとおつきあいのあった企業さんだから…というような視点で、とにかく条件面や人とのつながりが第一。あと単純にやってみたいから、とか。

意義みたいなものを第一の理由として考えたのは今回が初めてのような気がします。

 

それは単に年を取ったからみたいな理由もあるんでしょうけど、

 

子供が育ってきて自分の受けられる条件が幅広くなった

「最低限の条件」はクリアしてくれる仕事が増えた

ちょっと余裕ができて意義まで考えられるようになった

 

…みたいな要因があるのかな、と。

  

まぁでも、どんな仕事も長く続けるためには自分なりの意味づけみたいなものは重要になってくるんじゃないかなぁと思います。割り切るのもひとつですけどね。

 

ただ、ふと自分の選択を見つめたときに、その経緯が自分でも興味深かった、というお話でした。仕事に意義なんて必要だろうか?(そこまで考えてられない)と思っていましたし、子連れで在宅仕事を望んでいてそこまで求められるはずもない、と感じていたから。でも考えてみたら働いていて社会の誰かの役に立ちたいと思うのは自然な感情だし、いいことだと思いました。自分で。

いつのまにか自分もまわりも変わるものだなと。

 

あと、社会的な変化もあるかもですね。リモート勤務の認められ方というか、許される範囲というか。

求人広告の仕事ってずっとやってますが、昔は在宅でここまで外注できるイメージなかった(本当にデキル営業さんや制作さんが一人で代理店やってる、くらいしか例を知らなくて、私くらいの職域だと出社必須だった)。

 

そんな近況の話でした。

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(私が癒される景色、夕空と鉄塔)

 

新しい仕事はまだぜんぜん慣れない(^^;)

短時間のデスクワークなのにすっかり体力使ってしまって、週末はよく寝ました~

今週また、がんばろう。