罪悪感というのはどこからやってくるのだろう

うちの母は今思うとちょっと変わった人で、近所になっている柿の木とかヤマモモの木とか、子供より先に上ってとってる人だったんですよね。まぁ昭和の時代ということもありますけど、いやでも、昭和でもそんなママさんあんまりいなかったよな…と冷静に考えて今思うわけです。

 

料理はすごく上手でなんでも作ってくれたけど、裁縫は苦手で学校に持って行くぞうきんすら縫ってくれなかったし(兄も私も自分でやってた)編み物とか料理とか趣味に没頭している期間は家はぜんぜん片付いてなく…みたいな状態で。ちょっと不思議ちゃん寄りかも…。

 

そんな母に対して、私は今けっこう感謝していることがあって、それは私が「母親こうあるべき」みたいな感覚が少ないこと。ときに自分優先のときがあっても、夫に子供任せてふらふら出歩いても、仕事忙しいとき家がぐちゃぐちゃでも…そこに対して罪悪感がないわけじゃないけどそこまで…。

それは多分母が「古きよき専業主婦」って感じの人じゃなかったからかもなぁと思います。平たく言うと「お母さん、私の主婦やママに対するハードル下げてくれてありがとう」で、実は今の生活を送る上でかなり感謝してるんですけど、どう伝えてもちょっとディス風味になりそうでww伝えたことはありません。

 

ネットでもリアルでも育児トピックだと、罪悪感を感じやすかったり、育児の何かに対して傷つきやすい人をよく見かけるように私は思っていて、それって過剰反応では?と正直ずっと思っていたのですが、最近になってその一部は、きっと「その人自身が手をかけて育てられた人」ゆえなのかなとか(全部がそうではないでしょうが)…そんな風に思うようになりました。

 

どうしても、育児って自分の親がベースになるところがあって。

それはいい意味でも悪い意味でも、自分のハードルになる部分なのだろうと思います。

 

 私の場合は、自分の家が子供優先の家ではなかったので、それは自分にとって良かった(ハードル低めでラクという意味で)ところもありますが、その大人優先であったことで悲しい思いもしてきたので、やっぱり物事には両面あるんだなと思います。

 

子供連れて出かけるときとか、私は子供連れててもついついスポーツ観戦とか、自分の行きたいとこ行っちゃうんですよね。

スポーツ観戦って子供向け企画がないわけではないし、子供もママ好きなので「行きたい!」なんて言って喜んでついてきますが、でも、本音では大きい公園とか子供向けスポットの方がそりゃー楽しいよなぁとか、たまに自分を省みる。ほんとに好きなこともあるでしょうが、「親がこう言うと喜ぶから」みたいな感覚で言うこと、多分ありますよね。

 

親の影響はどうしても受けるものだと思いますが、それは自分が思うことなのか親の影響なのか世間の影響なのか、いい影響なのか悪い影響なのか、ちゃんと見極めて判断できる状態でいたいです。

今の自分の生活や子供の習い事について考えてた中で、ふと思ったことでした。